帰らないお父さん
最近、仕事でおうちに帰れないお父さん。
先週も、1日しかかえれず、ぼーっとしていて、子供とも話しできず。
無理だって、頭回ってないもん。
なんか、気がつくと終電なくなってしまって、そのまま仕事続行みたいな感じです。
かろうじて、加齢臭を消すため、朝、銭湯に行くくらい。。。
もしくは、ネットカフェのシャワーで洗い流す。
先日、ネットカフェに行ったら、ポイントが多摩って割引に。。。完全、ネットカフェ難民化している。。。
で、今週、土・日は、仕事はあるけど、無理やり休んでしまった。
どうやら、ほかの協力会社のリーダー、「欝」で戦線離脱。
ああ、自分も「欝」に...と思うけど、結構O型なので、客から結構きつく言われても、思いっきり落ち込むけど、意外に利かない(こんなこと、ブログに書いたら、会社の人に名に言われるかわからんが。。。)性格らしい。
たまに、電車に突っ込んでやろうと思うけど、キヨスクに行って、ビール買って電車の中で一杯。周りはかなり迷惑だろうが、知ったこっちゃない。
そんな生活が続く毎日。
明日からは、また、、、それ以上は言うまい。
ちなみに、先週の秋葉原通り魔事件。
その30分前に、秋葉原で乗り換えしているし。。。ちょっと、買い物しようと思っていたけど、時間がなく、やむなく会社へ直行。
それがよかった。
今頃、屍になっていたかも知れない・・・
頭おかしくなっていたので、あんな光景見たら、突っ込んでいたかもしれない。
いま、テレビの企画で、1年外国で海外で働いているお父さんへ子供が会いに行く企画が。。。
もう、この手の話には、涙腺とまりません。
今日は、久しぶりに子供たちと一緒にいました。
すまん、駄目駄目父ちゃんで、、、
明日からは、また、いろいろあって帰ってこられないと思うけど、1年あえなくなるわけではなく、今月いっぱいで収束するから簡便な。。。と思い、就寝します。
ちなみに、きょうは父の日(父の日由来(こぴぺ))
父の日の由来は、アメリカのワシントン州に住む「ジョン・ブルース・ドット婦人」の提唱による。
彼女の父「ウィリアム・ジャクソン・スマート」は妻に先立たれ、ドット婦人ら6人の兄弟を男手一つで育てあげた。
そんな父に育てられた彼女は「母の日」の存在を知り、父に感謝する日も必要であると、1909年6月19日(第三日曜日)に「父の日」の制定を提唱。
その後、「父の日」の行事は各地へ広まり、1916年にはアメリカ全土で行われるようになった。
アメリカで正式に「父の日」が祝日となったのは、1972年のことである。
日本の「父の日」は、1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代である。
健在している父には赤いバラ、亡くなった父には白いバラとなった由来は、ドット夫人が父親の墓前にバラを供えたためとされる。
日本では、「ファーザーズ・デー委員会」という団体の「父の日黄色いリボンキャンペーン」が、幸福や希望の象徴である「黄色」を「父の日」のイメージカラーとし、その年話題になった「父」にイエローリボン賞を贈っている。
しかし、花は特定されていないため、一般では「黄色いバラ」や「白いバラ」、子の愛という花言葉をもつ「ユリ」などが贈られている。
強制はするまい。
いつも、家にいない父ちゃんが悪いんだから。
誰ほとりとして、父の日の話をする人なし。
いいよ、いいよ、サザエさんの「浪平」は気にしていたが、「浪平」よりは、otataは、こころが広いらしい。
(Wikipediaで「サザエさん」を見てしまった。奥が深い。ちなみに、最近の「かつお」は、otataは大嫌いだ。)
まあ、今日だけは、家族と一緒にいられただけよかったかな?
さあ、明日からもがんばるか。
「父ちゃん元気で留守がいい。。(by.キンチョールの宣伝)
よく言ったもんだ。
昔、意味がわからなかったが、最近はよくわかる。初めて思い知らされた。家族が、心配してくれるだけでも、よしとしよう。
(朝、母ちゃんからたまに消息の確認メールが来る。最近は、2日に1回と、感覚が「伸びている。)
とりあえず、明日からも気持ち折れないようにがんばろうっと。。。
(この厳しい状況で、スクラッチを買ってみた。1000円買ったが、200円しか当たらなかった。この状況なら、100万円当たっても、罰当たらないのに...)
先週も、1日しかかえれず、ぼーっとしていて、子供とも話しできず。
無理だって、頭回ってないもん。
なんか、気がつくと終電なくなってしまって、そのまま仕事続行みたいな感じです。
かろうじて、加齢臭を消すため、朝、銭湯に行くくらい。。。
もしくは、ネットカフェのシャワーで洗い流す。
先日、ネットカフェに行ったら、ポイントが多摩って割引に。。。完全、ネットカフェ難民化している。。。
で、今週、土・日は、仕事はあるけど、無理やり休んでしまった。
どうやら、ほかの協力会社のリーダー、「欝」で戦線離脱。
ああ、自分も「欝」に...と思うけど、結構O型なので、客から結構きつく言われても、思いっきり落ち込むけど、意外に利かない(こんなこと、ブログに書いたら、会社の人に名に言われるかわからんが。。。)性格らしい。
たまに、電車に突っ込んでやろうと思うけど、キヨスクに行って、ビール買って電車の中で一杯。周りはかなり迷惑だろうが、知ったこっちゃない。
そんな生活が続く毎日。
明日からは、また、、、それ以上は言うまい。
ちなみに、先週の秋葉原通り魔事件。
その30分前に、秋葉原で乗り換えしているし。。。ちょっと、買い物しようと思っていたけど、時間がなく、やむなく会社へ直行。
それがよかった。
今頃、屍になっていたかも知れない・・・
頭おかしくなっていたので、あんな光景見たら、突っ込んでいたかもしれない。
いま、テレビの企画で、1年外国で海外で働いているお父さんへ子供が会いに行く企画が。。。
もう、この手の話には、涙腺とまりません。
今日は、久しぶりに子供たちと一緒にいました。
すまん、駄目駄目父ちゃんで、、、
明日からは、また、いろいろあって帰ってこられないと思うけど、1年あえなくなるわけではなく、今月いっぱいで収束するから簡便な。。。と思い、就寝します。
ちなみに、きょうは父の日(父の日由来(こぴぺ))
父の日の由来は、アメリカのワシントン州に住む「ジョン・ブルース・ドット婦人」の提唱による。
彼女の父「ウィリアム・ジャクソン・スマート」は妻に先立たれ、ドット婦人ら6人の兄弟を男手一つで育てあげた。
そんな父に育てられた彼女は「母の日」の存在を知り、父に感謝する日も必要であると、1909年6月19日(第三日曜日)に「父の日」の制定を提唱。
その後、「父の日」の行事は各地へ広まり、1916年にはアメリカ全土で行われるようになった。
アメリカで正式に「父の日」が祝日となったのは、1972年のことである。
日本の「父の日」は、1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代である。
健在している父には赤いバラ、亡くなった父には白いバラとなった由来は、ドット夫人が父親の墓前にバラを供えたためとされる。
日本では、「ファーザーズ・デー委員会」という団体の「父の日黄色いリボンキャンペーン」が、幸福や希望の象徴である「黄色」を「父の日」のイメージカラーとし、その年話題になった「父」にイエローリボン賞を贈っている。
しかし、花は特定されていないため、一般では「黄色いバラ」や「白いバラ」、子の愛という花言葉をもつ「ユリ」などが贈られている。
強制はするまい。
いつも、家にいない父ちゃんが悪いんだから。
誰ほとりとして、父の日の話をする人なし。
いいよ、いいよ、サザエさんの「浪平」は気にしていたが、「浪平」よりは、otataは、こころが広いらしい。
(Wikipediaで「サザエさん」を見てしまった。奥が深い。ちなみに、最近の「かつお」は、otataは大嫌いだ。)
まあ、今日だけは、家族と一緒にいられただけよかったかな?
さあ、明日からもがんばるか。
「父ちゃん元気で留守がいい。。(by.キンチョールの宣伝)
よく言ったもんだ。
昔、意味がわからなかったが、最近はよくわかる。初めて思い知らされた。家族が、心配してくれるだけでも、よしとしよう。
(朝、母ちゃんからたまに消息の確認メールが来る。最近は、2日に1回と、感覚が「伸びている。)
とりあえず、明日からも気持ち折れないようにがんばろうっと。。。
(この厳しい状況で、スクラッチを買ってみた。1000円買ったが、200円しか当たらなかった。この状況なら、100万円当たっても、罰当たらないのに...)
2008/06/15(Sun) 20:35:46 | お仕事